カーテンコール

恥の上塗りを重ね、浅はかな人生を送っております。通院8年目。

匿名の希望

おはよう  おはよう 世の中 おはよう 私

 

 遣る瀬無い気持ちを食事にぶつける事は、そんなにも愚かな事でしょうか。生命を繋ぐ為の行為を、緩やかな死と捉えることは、そんなにも可笑しい事でしょうか。理解が出来ないのは当然でしょうね、互いに他人です。考えていることも、本当の事も、何ひとつ確実な事はわからない、それが他人です。好意の裏にある嫌悪に気づくことが出来ない、或いは、気づかせない、悟らせないように振る舞うことで平穏を保つ、それが他人です。他人というものです。嫌々を唱えるのであれば、何がどのようにを添えなければ、嫌 以外の感情は何も伝わらないのです。これを汚いと思うのか、清らかと思うのかが違うのも、他人だからです。他の心は、ほかの心には解り得ないのです。

 

 気づくと会話をしている事が増えました。誰ともわからない、知らない相手と、ぽそぽそと会話しているのです。何の対話をしたのかを覚えていられたらよいですが。なかなか、そう言うわけにもいきませんようです。私は、発声をする事で、会話に気づく事ができますが、その対話は、発声をするよりももっと前から、行われているようです。誰かに言おうだなんて思っていません。信じてもらおうだなんて思っていません。体験し得ない理解し得ない現象のようなので。よいのです。それで、よいのです。わからないことが多いことで、人の一生は、より一層豊かになりますから。